2012年5月3日木曜日

日めくり~細井明美のページ:イラク・ラマディから


ラマディからのレポート3です。
前回、私は「音爆弾」と書いたが、イメージがずいぶん違うので「ソニック爆弾」と訳した。「音爆弾」では優しすぎるもの。

それにしても、表面的には傷をつけず、人間を廃人にしていく武器はなんとも隠微なもので、それを考える人間の汚さをつくづく感じる。

彼のレポートに出てくる兵士たちの人間らしさはなんとも言いがたい…。このユーモアこそがイラク人だと言いたくなってくる。

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2006年5月11日
その日はラマデイ中で銃撃の音が響いていた…午前9時頃、F16が再び駅を爆撃した…そして戦車が鉄道で働いている人々の家を砲撃した…3人の民間人が殺された。父親と2人の子どもたち…けが人が数人…破壊された家が残った。

2006年5月12日。
米軍はレジスタンスに攻撃された…攻撃されたのは農業大学にあった陸軍基地だった…
レジスタンスは機関銃と迫撃砲で基地を攻撃した。そのため米軍はその夜基地の近くの家を攻撃した。彼らは、通りに戦車でやってきて、たくさんの人々を逮捕して、多くの家を家宅捜索した….

どんな家宅捜索がされるのかというと…
普通、米兵は深夜12時過ぎに戦車に乗ってやってくる….彼らは自分たちがレジスタンスだと思った人間は誰でも逮捕する。彼らは、街の中を走っていて、家の中で動きまわっている人影が見えると、どの家だろうと逮捕する….逮捕の事例で最も多いのは、米兵が、深夜に起きている人間を見咎めたときだ!!!それで、我が家も含めこの地域に住む多くの人間は音を立てないように自分たちの部屋に隠れ、子どもたちを静かにさせてベッドに連れていく……あらゆることが毎晩暗闇の中で行なわれる。どこの家の発電機もガソリンの高騰で燃料不足になりほんの数時間しか動かすことが出来ないのだ。

家宅捜索のあとは次のような結果が待っている:
1ー破壊されたドアと窓。
2ー 壊された家具とテレビ、冷蔵庫などの電気製品。
3ー割られた車のガラス。
4 ーショックを受けている子供と女性たち


郡刑務所ジョリエットILます

深夜、どこの家でも行なわれる家宅捜索がどのようなステップをふむかというと:
1ー 米兵は、家を取り囲み、しばらく見ている。
2 ー窓にソニック爆弾を投げ入れる…ソニック爆弾は、高周波の爆発音で人々(家族)にショックを与える。家の中にいてこの爆弾を受けると、誰でも少なくとも20分は聞こえなくなる….赤ん坊にとっては、生涯耳が聞こえなくなるというリスクがある。
3ー米兵は開いているさまざまな場所(窓、ドア)から家に入るので、ドアがバリバリっとものすごい音をたてる…寝室と台所など、どこもかしこも。
4 ー彼らは大声で叫び、無理矢理全員(女性、子供さえ)を取りおさえ、手をしばり、真っ暗な狭い一部屋に押し込める….
5 ー米兵は捜索を始める。彼らはカギのかかったキャビン、ロッカー、どんなものでも壊してしまう……
6ー家の中に兵器、爆弾がないかを確実にチェックした後….米兵は家族から情報を集め始める。ほとんどの場合、通訳はいない。それで、彼らは基地で尋問するために男性と少年を逮捕するようだ。
7-終わったあと、彼らは煙爆弾を外から投げ込み、逮捕した人々を連れて戦車に乗って基地へ戻る。

我が家は深夜の家宅捜索のときこの経験を何度もした….僕が米兵の通訳が出来ないときは、家族にとっては最悪だ。何回も、僕は米兵から(僕の家を家宅捜索するとき)良い給料を払うから米軍の通訳にならないかと誘われた。でも、僕は断った。彼らが僕の仲間を殺している間は、イラクでの米軍の戦争犯罪の仲間になってしまうと思うから。米兵は、自分たちの銃でたくさんのイラク人を殺し傷つけたことを理解する必要があるし、彼らは皆、自分の問題としてイラクの悲劇をシェアするべきだ。さらに言うならすべてのイラク人が被害者で、その一部がイラクの惨劇を止めるために抵抗戦士として戦っているのだ(と多くの イラク人は思っている)。


罪状認否は何を意味する

2006年5月13日
今朝、米軍は、狙撃兵の拠点にしようとさらに多くの家を占拠しようとした……そして、たくさんのレジスタンスがこれを阻止しようと銃を持って現れた。
米軍は戦車、ヘリコプターなど彼らが持ちうるすべての力を使った。そして多くの家を攻撃し、多くの人々(犠牲者の大部分は民間人)を殺した……今回、米軍は、狙撃兵の拠点として僕の家を選んだ….

3時10分、家族が眠っている間に、米兵が門を壊し、占拠しようとした….しばらくして庭の背後に来た…僕は目が覚めた…そして、歩いてくる彼らの足音を聞いた……数分後、我が家の2つのドアが壊され、彼らが中に入ってきた….


あなたは、ニューヨーク市の北を大文字にしない

僕は部屋から飛び出し、いくつかの英単語で自分がいることを彼らに伝えた。突然寝室に入ってくるアメリカ流のやり方に家族をびっくりさせないようにするためだ。
米兵は叫んだ「止まれ……後ろを向いて手を壁につけろ……」。彼は僕が何をしていたかと尋ねた…もう一人の米兵が僕をチェックして、次にこう言った「彼は問題ない」彼は僕をじっと見ている将校に向かって言った……「まったく。英語が話せるイラク兵が3人しかいない…」彼らは互いに言い合った。
「OK…ここの仕事が終わるまで米軍を助けないか……我々はこの家にどんな人間が住んでいるのか知るためにお前が必要だ」他の兵士が僕の周囲を歩き、将校が尋ねた。本当に暗かったので彼らが見えなかった。しかし、彼らはヘルメットについた器具で僕を見ていた….僕は将校がぼくの足元を見るために石油ランプを持っていることに気がついた。
それで、彼が話している間、僕は彼を見た。
「僕たちを傷つけないでください。僕たちは平和な家族で、ここにいるのは子供、女性、老人(僕の父)です…捜索をするなら僕に家族を起させてください……」 
「OK…急げ。ここに住んでいるすべての人間をこの部屋に連れてこい」将校は僕の小さな部屋を指し示した。僕は両親を起すために急いだ。そして彼らに冷静に伝えた。
「米兵がここにいる。だけど皆大丈夫だから…彼らは僕たちにひとつの部屋に集まるように言っている」僕は父を恐がらせないように穏やかな声で言った…父は心臓に持病があったのだ。
「これから姉の部屋に行って、彼女を起し、僕の部屋に連れていく」


2人の米兵が何も言わずに僕についてきた…彼らは僕が命令に従うので安全だと思ったらしい……子ども部屋で甥が寝ているのが見えた…5歳になるムスタファは病気で、熟睡していた…僕は彼を抱き、他の子どもたちの部屋に連れて行った。
ついに僕はすべての家族を起し、家族全員ひとつの部屋に集まった。米兵は家族全員の手をしばり始めた…僕は彼を止めた。
「どうかやめてください…貴方はドアにカギをかけるでしょう。だったら手をしばらないでください。ここには子どもがいます…子どもたちにはこれはつらいことです…お願いだからやめてください」僕は将校に言った。
「OK…ドアにカギをかけろ…これで十分だろう」将校は言った「この家に18人も住んでいるのか???どうやって」
将校は僕に尋ねた。
「僕たちには選べないのです…これが僕たちができるすべてで…他に住む場所もないし…でもいいんです…僕たちが皆で住むのには十分な家なんです」僕は笑って答えた….彼らをリラックスさせるように。
「良い子だ…家族を大事にしろよ」彼は笑いながら言った。
「いや…僕は子どもじゃないです…大人です…ひどいなぁ」僕は彼に言った….冗談っぽく。
「おお、ごめんごめん…いくつだ?」
「30歳です…」
「おお、若く見えるなぁ…30歳 ???本当か?」
「えぇ、本当ですとも….若く見えるのは僕のガールフレンドにとってはいいことでしょ…ね?」。
「ハハハ…そうだな…お前は最高だ」と将校は笑った。
「彼女はステキさ…でもあんたには関係ないことだけど….OK…??」私は笑って答えた。「OK…OK…。さぁ、家族と一緒に部屋に入れ。我々の仕事が終わったらドアを開けよう…さぁ、どうぞ入ってください」将校は言った…
僕は黙って部屋に入った…一人の米兵がドアのカギをかけた。そして僕たちは暗闇の中に残された。最初、僕は、米兵たちが捜索を終えたらすぐに家を出ると思っていた….
しかし、彼らは午前11時20分までいたのだ…。そして、僕たちは暗い部屋に6時間いた…最初の2時間はとても暗くて暑かった….


ムスタファがトイレに行きたがって問題が始まった………
僕は兵士に彼をトイレに行かせてくれるように頼んだ…「俺たちには出来ないんだ…出来るのは米兵だけさ…俺たちは彼らの命令なしでは何にも出来ないんだ」と、イラク兵が僕に言った。
「今すぐ彼らにOKを聞いてきてくれ…病気の子どもが今すぐトイレに行きたがっているんだ」
「OK…やってみよう……俺は英語が出来ないんだ…手まねでやってみるよ…いいかい?」 イラク兵は答えた。「OK…OK」
彼は階段を上がっていき、数分後に一人の米兵と戻ってきた。
「どうした???」
米兵はカギのかかったドアの向こうで僕に尋ねた。僕は甥の説明をした…それから彼はドアをあけた。
「OK…一人で行ってこい…」米兵は言った
「いや、彼は病気だから無理です…病気で歩けない…足が弱っているんです」
「OK OK…お前、一緒に行け…お前(イラク兵を指差して)、そいつらを見張れ…. . 」 米兵は僕とイラク兵に言った。
「彼は何て言ったの??」イラク兵が僕に聞いたので、僕は彼に説明した…………それから僕たちはトイレに行き、イラク兵は僕たち、つまり僕と5歳のムスタファに銃を向けていた。誰もがトイレにいくたびにこれが繰り返された…

僕たちは暗くて暑い部屋で人質として6時間過ごした。次のメッセージでは何が起きたかを話すね……ありがとう

(翻訳 細井明美)



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