たまに世界史の話から入りますが、地名の移り変わりの話をするときによく出てくるのが、トルコのイスタンブールです。かつてはコンスタンティノープル(コンスタンティノポリス)、そのまた昔はビザンティオンと呼ばれていました。
紀元前にビュザンタスという王の名からビザンティオンと名付けられたという説が一般的ですが、その後、ローマ帝国に征服されると、コンスタンティヌス帝にちなんでコンスタンティノポリスと呼ばれるようになりました。ちなみに、ビザンティオンの名も、東ローマ帝国の別名である「ビザンツ帝国」にその名を残すことになります。1453年、オスマン帝国によって、ビザンツ帝国の首都であったコンスタンティノープルが陥落し、ビザンツ帝国が滅亡すると� �オスマン語で「コンスタンティーニーイェ」と呼ばれ、のちにイスタンブールと呼ばれるようになります(一説にギリシャ語の「都市に」「都市の中の都市」に由来するとされています)。支配者が替われば、地名も替わるという一つの例です。
誰が中世の建物を所有していた
地名と人名の話をするときに出てくるのが、マケドニアのアレキサンダー大王(アレクサンドロス大王)。征服地に自分の名前を付けた都市を建設したことで知られ、中でもエジプトのアレクサンドリアは有名です。ほかにも複数の「アレクサンドリア」があったことが知られていますが、同名のため「アレクサンドリア・アラコシオルム(アラコシアのアレクサンドリア)」などと呼び分けていたようです。
もう一つ。ロシアの都市にサンクトペテルブルクがありますが、これはピョートル大帝にちなみます(正確には大帝と同名であった聖ペテロにちなむ)。この読みはドイツ語風ですが、第一次世界大戦でロシアとドイツが交戦すると、ロシア語� �にペトログラードと改名し、ソ連時代にはレーニンにちなんでレニングラードと改めました。レニングラードの方がなじみがあるという人も少なくないかもしれせん。ソ連崩壊後は、住民投票によって帝政ロシア時代の旧名に戻りました。ちなみに英語圏では「セントピーターズバーグ」と呼ばれます。
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征服者、開拓者としての性格が強いと、人名から地名を付ける例が多くなりますが、日本の場合は、圧倒的に地名から人名(苗字)を付ける例が多くなります。それは領主として自分の支配地から名前を取ったことに由来するのですが、少なくとも近世以前で逆の例、地名に人名を付ける例はきわめてまれです。信長の場合は「今浜」から「長浜」の改名が例外ですが(秀吉の事績と言った方がいいかもしれない)、各地の大名を倒して、そこに信長の名を取った都市を建設するなどといったことはありませんでした。
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本拠地を通称とする(通称として呼ばれる)例も多いですね。平清盛は六波羅殿、源頼朝は鎌倉殿とも呼ばれました。これは改名したわけではなく、敬称、尊称として、場所を呼び名にしたものですが、人名や役職を地名や建物の名称で呼ぶことは日本に限らず、世界にも例を見ることができます。「プリンス・オブ・ウェールズ」と言えば、もとは「ウェールズ公」くらいの意味ですが、現在ではイギリスの(第一)王位継承者のことを指します。また、「ホワイトハウス」と言えば、アメリカの政権を指す場合があることは誰でも知っていることだと思います。
フランス大統領シャルル・ド・ゴールの名を取った「シャルル・ド・ゴール空港」は有名ですし、この人の名前は空母にも使われています。欧米では人名を艦船名に使うことはよくあることで、数え上げるときりがないのですが、日本の場合は「大和」や「武蔵」など旧国名や山、川の名前をつけることがほとんどで、現在でも船舶名に人名を付けることはまれです。そういえば、「プリンス・オブ・ウェールズ」という戦艦もありました。第二次世界大戦で日本の航空機の攻撃を受けて沈没し、イギリス首相チャーチルに大きな衝撃を与えています。
いまでこそ、市町村合併でまったく新しい地名が創造されることも少なくないのですが、こうやって見ていくと、どうも日本の場合は人 名から地名を付けることはタブー視されていたというか、そもそも地名を変えること自体タブー視されていたように思えます(「大坂」→「大阪」、「得川」→「徳川」のように字を変えることは地名でも人名でもある)。怨霊信仰や言霊(ことだま)といった考え方の影響なのか、よくわかりませんが、日本人の名前に対する意識を表している事例の一つと思います。
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